油断大敵の時代

堺屋太一『油断!』が問いかけた、資源依存社会の脆弱性
1970年代に発生した石油価格の高騰、いわゆるオイルショックの直後、当時、通商産業省(現・経済産業省)の官僚であった堺屋太一氏が、小説『油断!』を発表しました。
この作品は、原油を生産する中東地域の紛争によって石油の供給が途絶し、日本の経済社会がわずか数週間で崩壊していく様子を描いた小説です。
「油断大敵」という言葉は、仏前に供える灯明の油が切れてしまうと大変なことになる、ということが語源だといわれています。
堺屋氏は、オイルショックが発生する前にこの小説を書き終えていたようですが、その内容があまりにも現実と重なったため、社会に大きな衝撃を与える書籍となりました。
現代社会は、石油に大きく依存しています。しかし、石油は埋蔵量の約6割が中東地域に集中するなど、限られた地域にしか存在していません。石油の確認埋蔵量は約1.7〜1.75兆バレル、重量にして約1,630億トンとされており、現在の生産ペースが続けば、約50年で枯渇するとも見られています。
今年3月末から始まった、アメリカ、イスラエルによるイランへの攻撃によって、中東の原油を大型タンカーで輸送するための要衝であるホルムズ海峡が封鎖されました。周辺諸国では攻撃の応酬が続き、原油の安定供給に対する不安から、世界の原油価格も不安定になっています。
原油のほとんどを中東からの輸入に依存している日本では、経済活動や日常生活への深刻な影響が懸念されています。日本は、石油ショックのように石油の供給を断たれるリスクに直面していますが、政府は、戦争や自然災害などによって原油が輸入できなくなった場合に備え、民間事業者とともに石油の備蓄を進めており、その一部を放出することを決めました。
今回の事態は、1970年代の石油ショック以上に複雑な地政学的要因が絡んでおり、解決は容易ではないようです。門外漢である筆者が、その解決策について論評することはできません。しかし、石油という現代社会に不可欠な資源が入手できなくなるリスクの大きさを、改めて感じています。
堺屋氏は、石油がなくなることそのものよりも、一つのシステムに過度に依存し、代替案を持たない社会の脆弱性について警鐘を鳴らしていました。
石油ショックの際には、石油の価格が上がっただけではありません。当時、急速に普及が進んでいた水洗トイレに必要なトイレットペーパーの供給が不足するのではないかという不安からデマが広がり、店頭では買い占めや売り惜しみが起こり、社会秩序が混乱しました。
今回の石油価格の上昇では、今のところ、そのような混乱は起きていないようです。しかし、本当に石油が確保できなくなったときには、深刻な社会不安が広がり、想像以上の事態が起きるのではないかと懸念しています。
石油は、エネルギーとして使われるだけではありません。プラスチック、肥料、医薬品など、私たちの生活のあらゆる分野に使われています。有限である石油の安定供給は、国家の安全保障であると同時に、私たちの暮らしの安全保障にも関わる問題です。
だからこそ私たちは、石油が海外からの供給に大きく依存している現実を正しく理解し、自分たちにできる対応策を講じておく必要があるのではないでしょうか。
特定の地域情勢にエネルギー供給を左右されない、強靭、すなわちレジリエンスのある社会を構築するためには、社会全体のシステムを変革していく必要があります。同時に、一人ひとりが、有限な石油に依存していることを自覚し、省エネルギーやリサイクルに取り組むことも大切です。
さらに、環境への影響だけでなく、人権、地域社会、そして将来世代に与える影響まで考えながら、エシカルな消費を進めていくことが求められているのだと思います。
「油断大敵」は、これからの時代において重要なキーワードになるのではないでしょうか。
もう一つ、日本には「湯水のごとく使う」という言葉があります。日本列島は降水量が多く、造山活動によって各地に温泉もあり、水資源や温泉に恵まれてきました。この言葉は、そのような日本の自然環境の中から生まれたものですが、同時に、私たちのライフスタイルそのものを表しているようにも思います。
この「湯」を「油」に置き換えてみると、見えてくるものがあります。
有限で貴重な石油などの資源を、まるで無尽蔵であるかのように使い続けてきた私たちの社会。そのあり方を見直し、資源を大切にする経済社会システムへと転換していく必要があるのではないでしょうか。
「油断大敵」。
この言葉は、単なることわざではなく、石油に依存してきた現代社会への警鐘として、改めて受け止めるべき言葉なのだと思います。

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